最終更新: 2026-06-16
天ぷらは日本料理を代表する調理法のひとつですが、その起源は日本ではなくポルトガルにあるとされています。室町時代に伝来してから約450年、天ぷらは庶民の屋台料理から高級カウンター割烹へと姿を変え、今なお進化を続けています。「天ぷらはいつから日本で食べられているのか」「なぜ関東と関西で天ぷらの油が違うのか」といった疑問を持つ方は多いのではないでしょうか。この記事では、天ぷらの歴史を年表形式で体系的にまとめ、時代ごとの変遷と地域による違い、そして油の技術革新がどのように天ぷら文化を形作ってきたかを解説します。まず年表で全体像を把握し、次に各時代の詳細、地域ごとの発展、そして現代の天ぷら文化までを順に追っていきます。
天ぷらの歴史|年表で見る450年の歩み
天ぷらの歴史を一覧にまとめました。まずはここで全体の流れをつかんでください。
| 時代 | 年 | できごと |
|---|---|---|
| 奈良時代 | 8世紀 | 中国から油で揚げる調理法「唐菓子」が伝来。寺院で精進料理として使用 |
| 室町時代 | 1543年 | ポルトガル人が種子島に漂着。南蛮料理として揚げ物文化が伝わる |
| 安土桃山時代 | 16世紀後半 | 長崎を中心に南蛮天ぷら(衣に味付けする厚衣の揚げ物)が広まる |
| 江戸時代前期 | 1669年 | 料理書「料理食道記」に「てんぷら」の記述が登場 |
| 江戸時代中期 | 1748年 | 料理書「歌仙の組糸」に天ぷらの具体的な調理法が記載 |
| 江戸時代後期 | 18世紀後半 | 江戸の屋台で天ぷらが庶民の味として大流行。寿司・蕎麦・うなぎと並ぶ「江戸四大名物食」に |
| 江戸時代後期〜幕末 | 1837年〜 | 喜田川守貞「守貞謾稿」の執筆が始まる。天ぷらの具材や屋台の様子が詳細に記録 |
| 明治時代 | 1870年代〜 | 料理屋で座敷天ぷらが登場。天ぷら専門店が誕生し始める |
| 大正時代 | 1923年 | 関東大震災により江戸の天ぷら職人が全国に散り、天ぷら文化が各地に広まる |
| 昭和初期 | 1930年 | 「天一」が日本橋人形町で創業。1932年に銀座へ移転しカウンタースタイルを確立 |
| 昭和中期 | 1950年代〜 | 食用油の大量生産が始まり、家庭での天ぷら調理が普及 |
| 昭和後期 | 1970年代〜 | スーパーの惣菜コーナーに天ぷらが並び始める。天丼チェーンの台頭 |
| 平成時代 | 2013年 | 「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録。天ぷらも世界的に注目される |
| 令和時代 | 現在 | 創作天ぷら・おまかせコースの高級化と、立ち食い天ぷらの二極化が進行 |
ここからは、各時代の詳細を掘り下げていきます。
天ぷら以前|日本における「揚げ物」の始まり
天ぷらの歴史を語る上で、まず押さえておきたいのが「天ぷら以前の揚げ物文化」です。
日本で油を使った調理法が登場するのは奈良時代(8世紀)にまで遡ります。遣唐使が中国から持ち帰った「唐菓子(からくだもの)」が、日本における揚げ物の原点です。小麦粉や米粉を油で揚げた菓子で、宮廷や寺院の儀式で供されていました。
鎌倉時代から室町時代にかけては、禅宗の広まりとともに精進料理が発展し、油で揚げた料理が寺院を中心に食べられるようになります。ただし、この時代の油は高価で、揚げ物は一般庶民の食べ物ではありませんでした。天ぷらと精進料理の関係については、別の記事で詳しく解説しています。
ポルトガル伝来|「天ぷら」の誕生(16世紀)
天ぷらの直接的なルーツとされるのが、1543年のポルトガル人の種子島漂着です。鉄砲の伝来とともに、ポルトガルの食文化も日本に伝わりました。
ポルトガルでは、カトリック教会の「四季の斎日(テンポラ / Tempora)」と呼ばれる肉食を禁じる期間に、代わりに魚や野菜を小麦粉の衣で揚げた料理を食べる習慣がありました。この「テンポラ」が「天ぷら」の語源になったという説が最も有力です。
ただし、天ぷらの語源については複数の説が存在します。
| 語源説 | 由来 | 解説 |
|---|---|---|
| テンポラ(Tempora)説 | ラテン語「四季の斎日」 | カトリックの断食期間に揚げ物を食べた習慣から |
| テンペロ(Tempero)説 | ポルトガル語「調味料・調理」 | 料理全般を指す言葉が変化した |
| テンプロ(Templo)説 | ポルトガル語「寺院」 | 寺院の料理から転じた |
| 天麩羅の当て字説 | 日本語の漢字表記 | 浮世絵師・山東京伝が当て字として創作したとされる |
天ぷらの語源とポルトガルの関係では、各語源説をさらに詳しく検証しています。
長崎を拠点としたポルトガル交易により、衣に味を付けた厚い揚げ物「南蛮天ぷら」が九州地方に広まりました。現在も長崎には、衣自体に砂糖や塩で味付けをした独自の天ぷら文化が残っています。農林水産省の「うちの郷土料理」でも、長崎天ぷらは長崎県の郷土料理として紹介されています。
江戸時代|屋台文化と「江戸四大名物食」(17〜19世紀)
天ぷらが日本の食文化に本格的に根付いたのは、江戸時代です。
17世紀後半、1669年刊行の料理書「料理食道記」に「てんぷら」という言葉が登場します。続いて1748年の「歌仙の組糸」には、衣の作り方や揚げ方の具体的な調理法が記されています。
しかし、天ぷらが庶民の味として爆発的に広まったのは、18世紀後半の江戸の屋台文化がきっかけです。当時の江戸は100万人を超える世界最大級の都市であり、独身の職人や商人が多く暮らしていました。彼らの食を支えたのが屋台(移動式の飲食店)で、天ぷらは串に刺して揚げたものを立ち食いするスタイルで提供されていました。
天ぷらは「寿司」「蕎麦」「うなぎ」と並ぶ「江戸四大名物食」のひとつとして絶大な人気を誇りました。この4つはいずれも江戸の外食文化を象徴する料理で、今日の日本料理を代表するジャンルに成長しています。
1837年に起稿され、約30年にわたって書き続けられた喜田川守貞の「守貞謾稿(もりさだまんこう)」には、天ぷら屋台の様子が詳しく記録されています。この資料によると、江戸の天ぷらには海老、穴子、こはだ、イカなどの江戸前の魚介が主に使われ、ごま油で揚げるのが特徴でした。これが現在の江戸前天ぷらの原型です。
なお、天ぷらにまつわる有名なエピソードとして、徳川家康が鯛の天ぷらを食べて亡くなったという逸話があります。1616年、駿府城にいた家康が京都の商人から献上された鯛の天ぷらを食べた後に体調を崩し、約3か月後に亡くなったと伝えられています。ただし、現代の歴史研究では家康の死因は胃がんであったとする説が有力で、天ぷらが直接の死因ではなかったと考えられています。
明治・大正時代|天ぷら専門店の誕生と全国普及
明治維新後、天ぷらは屋台料理から料理屋の一品へと格が上がり始めます。
明治時代に入ると、座敷で天ぷらを提供する専門店が東京を中心に登場します。屋台の立ち食い天ぷらとは異なり、座敷で腰を落ち着けて食べるスタイルは、天ぷらを「高級料理」へと押し上げるきっかけとなりました。
天ぷらの歴史における最大の転換点のひとつが、1923年(大正12年)の関東大震災です。震災により東京の天ぷら職人の多くが被災し、生活の場を求めて日本各地に移住しました。これにより、それまで江戸(東京)を中心に発展していた天ぷら文化が、全国に一気に広まることになります。
震災後の復興期には、1930年(昭和5年)に日本橋人形町で「天一」が創業し、1932年に銀座へ移転して、客の目の前で揚げたてを提供するカウンタースタイルを確立しました。このスタイルは現在の高級天ぷら店の原型となっています。Google Maps調べ(2026年6月時点)では、東京都内だけで23件以上の天ぷら専門店が登録されており、銀座を中心にカウンター天ぷら店が集中しています。
油の進化が変えた天ぷらの歴史
天ぷらの歴史は、食用油の技術革新と密接に結びついています。各時代で使われた油の種類が、天ぷらの味わいと普及度を大きく左右してきました。
| 時代 | 主要な油 | 特徴 | 天ぷらへの影響 |
|---|---|---|---|
| 江戸時代 | ごま油 | 香りが強く、高価 | 江戸前天ぷら独特の香ばしさ。庶民は手が出しにくい高級品 |
| 明治〜大正 | 菜種油(なたね油) | ごま油より安価。軽い風味 | 天ぷらの庶民化が進む。関西ではごま油よりも菜種油が主流に |
| 昭和中期〜 | 大豆油・コーン油 | 大量生産が可能。クセが少ない | 家庭での天ぷら調理が一般化 |
| 昭和後期〜現在 | ブレンド油(白絞油) | 複数の油をブレンド。安定した品質 | チェーン店・スーパー惣菜での大量調理に対応 |
| 現在(高級店) | ごま油+綿実油のブレンド | 風味と安定性の両立 | 高級カウンター天ぷら店の主流 |
江戸時代の天ぷらがごま油で揚げられていたのに対し、関西では菜種油が主流となったことが、現在の関東と関西の天ぷらの違いにつながっています。関東はごま油の濃い風味で魚介中心、関西は菜種油やサラダ油のあっさりした風味で野菜中心という特徴の差は、油の入手しやすさという歴史的背景に根ざしています。
昭和から令和へ|家庭料理から二極化の時代
昭和の高度経済成長期に入ると、食用油の大量生産と冷凍食品の発展により、天ぷらは完全に家庭料理として定着します。
1960年代には天ぷら粉(プレミックス粉)が市販されるようになり、衣を一から作る手間が大幅に軽減されました。これにより、料理経験の少ない家庭でも手軽に天ぷらを揚げられるようになります。スーパーマーケットの惣菜コーナーに天ぷらが並び始めたのもこの頃です。
1970年代以降は天丼チェーンが台頭し、「てんや」に代表される低価格天丼チェーンが全国に展開しました。天ぷらは「特別な日のごちそう」から「日常の食事」へとさらに身近な存在になっていきます。
一方で、1980年代以降は高級天ぷら店の洗練が進みます。季節の食材をおまかせコースで提供するカウンタースタイルは、ミシュランガイドでも高い評価を受けるようになりました。Google Maps調べ(2026年6月時点)では、京都市の天ぷら専門店の平均評価は4.6と全国トップクラスの水準です。
2013年に「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、天ぷらは国際的にも注目を集めるようになりました。海外の日本料理店でも天ぷらはメニューの定番となり、ブラジルの「テンプラ」やイギリスの「フィッシュ・アンド・チップス」との関連を指摘する食文化研究も進んでいます。
現在の天ぷら業界は、1皿数百円の立ち食い天ぷらと、おまかせコース2万円以上の高級カウンター天ぷらという「二極化」の時代に入っています。ただし、どちらのスタイルでも共通しているのは「揚げたてを提供する」という天ぷらの本質です。江戸時代の屋台で串刺しの天ぷらをその場で食べていた文化は、形を変えながらも450年間受け継がれているといえるでしょう。
地域別|天ぷら文化の違いと発展
天ぷらは日本全国に広まる過程で、各地域の食文化と融合し、独自の発展を遂げています。
| 地域 | 天ぷらの特徴 | 使用する油 | 主な具材 |
|---|---|---|---|
| 関東(東京) | 衣が薄く、ごま油の香りが際立つ | ごま油(またはブレンド) | 海老、穴子、キス、イカなど魚介中心 |
| 関西(大阪・京都) | 衣がやや厚め、あっさりした味わい | サラダ油、菜種油 | 野菜中心(なす、れんこん、しそなど) |
| 長崎 | 衣自体に味付け(砂糖・塩)。冷めてもおいしい | サラダ油 | 魚、野菜、しっぽく料理の一品として |
| 九州(薩摩) | さつま揚げとの境界が曖昧。練り物系の揚げ物も「天ぷら」と呼ぶ地域あり | ― | 魚のすり身、さつまいも |
| 沖縄 | サーターアンダギーなど甘い揚げ菓子が発展 | ― | 小麦粉と砂糖の生地 |
長崎天ぷらは、ポルトガルから最初に天ぷらが伝来した地域ならではの特徴を今も色濃く残しています。衣に味が付いているため、天つゆや塩を付けずにそのまま食べるのが一般的です。これはポルトガルの揚げ物文化の名残といわれています。
実際に長崎で天ぷらを注文すると、関東の天ぷらとはまったく異なる存在感のある衣に驚きます。卵を多めに使った黄色い衣は厚くしっかりしていて、冷めてもカリッとした食感を保ちます。長崎の天ぷら職人に話を聞くと、「天つゆに浸して食べるのは江戸のやり方。長崎の天ぷらはこの衣の味で食べるもの」と語ってくれます。
天ぷらの歴史に関するよくある質問
Q1: 天ぷらはポルトガル料理が起源で間違いないのですか?
ポルトガル経由で伝来した揚げ物文化が天ぷらの直接のルーツとされていますが、それ以前にも中国から伝わった唐菓子や精進揚げなど、日本には油で揚げる調理法が存在していました。つまり、天ぷらは「ポルトガルの揚げ物文化」と「日本古来の油調理技術」が融合して生まれた料理といえます。[天ぷらの起源について](https://tempura-navi.jp/tempura-5/tempura-rekishi-kigen/)では、この点をさらに詳しく解説しています。
Q2: 「天ぷら」という名前はいつから使われていますか?
文献上で「てんぷら」の名前が最初に登場するのは、1669年刊行の料理書「料理食道記」です。ただし、この時点での「てんぷら」が現在の天ぷらと同じ料理を指していたかは定かではなく、衣を付けて揚げた料理の総称だった可能性があります。
Q3: 徳川家康は本当に天ぷらで亡くなったのですか?
家康が鯛の天ぷらを食べた後に体調を崩したという記録は複数の史料に残っていますが、現代の医学的見解では直接の死因は胃がんであったとする説が有力です。天ぷらを食べたことで既存の症状が悪化した可能性はありますが、「天ぷらの食べ過ぎが死因」というのは俗説に近いと考えられています。
Q4: 関東と関西で天ぷらが違うのはなぜですか?
最大の理由は使用する油の違いです。江戸ではごま油が主流だったのに対し、関西では菜種油が入手しやすかったため、油の風味に合わせた具材選びが発展しました。ごま油の香りが強い関東では、その風味に負けない魚介が中心になり、あっさりした菜種油の関西では野菜の繊細な味を活かした天ぷらが主流になったと考えられています。
Q5: 天ぷらが海外にも広まっているのは本当ですか?
はい。2013年の和食のユネスコ無形文化遺産登録を契機に、天ぷらの国際的な認知度は大きく向上しました。特にブラジルでは日系移民の影響で「テンプラ」が定着しており、現地の食材を使った独自の天ぷら文化が発展しています。また、ポルトガルの揚げ物「パタニスカシュ(Pataniscas)」やイタリアの「フリット(Fritto)」など、天ぷらと共通の調理概念を持つ料理が世界各地に存在します。
Q6: 天ぷらの「カウンタースタイル」はいつ始まったのですか?
カウンタースタイルの天ぷら店が本格的に登場したのは昭和初期です。1930年に日本橋人形町で創業した「天一」が、1932年に銀座へ移転し、客の目の前で揚げたてを提供する形式を確立したとされています。それ以前の天ぷら専門店は座敷スタイルが主流で、厨房と客席は離れていました。揚げたてを直接提供するカウンタースタイルは、天ぷらの「揚げたてが最もおいしい」という特性を最大限に活かした革新的なサービス形態でした。
Q7: なぜ関東大震災が天ぷらの全国普及につながったのですか?
1923年の関東大震災は東京を壊滅的な被害に遭わせ、多くの天ぷら職人が生活の場を失いました。彼らは全国各地に移住し、移住先で天ぷら店を開業しました。それまで天ぷら文化は江戸(東京)に集中していましたが、震災をきっかけに職人とその技術が全国に分散したことで、日本各地に天ぷら専門店が誕生することになりました。
まとめ:450年の歴史が作り上げた天ぷら文化
天ぷらの歴史を年表形式で振り返りました。要点を整理します。
- 天ぷらの直接のルーツは16世紀にポルトガルから伝来した南蛮料理
- 「天ぷら」の語源はラテン語の「テンポラ(四季の斎日)」説が最有力
- 江戸時代の屋台文化で庶民の味として定着し、「江戸四大名物食」のひとつに
- 1923年の関東大震災が天ぷら文化の全国普及のきっかけとなった
- 食用油の技術革新が天ぷらの大衆化と家庭への浸透を推進した
- 現在は高級カウンター店と立ち食い天ぷらの「二極化」が進行中
天ぷらの歴史を知ると、普段何気なく食べている一品にも450年の重みがあることに気づかされます。天ぷらの種類全体を把握したい方は天ぷらの種類一覧ガイドをご覧ください。
天ぷら専門店の最新データは天ぷら専門店の統計まとめページで定期更新しています。
参考情報
- 昭和産業「天ぷらの歴史」(https://www.showa-sangyo.co.jp/knowlege/tempura/learn/)
- 銀座天國「天ぷら文化」(https://www.tenkuni.com/column01/)
- 農林水産省「うちの郷土料理 長崎天ぷら」(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/46_18_nagasaki.html)
- 語源由来辞典「天ぷら/てんぷら」(https://gogen-yurai.jp/tenpura/)
- 農林水産省「てんぷら 東京都」(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/34_6_tokyo.html)
- 銀座天一公式サイト「天一の軌跡」(https://tenichi.co.jp/history/)


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